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サマセット・モーム「月と6ペンス」あらすじ~ストリックランドって何者!?

1919年に出版されたサマセット・モームの小説「月と6ペンス」

この作品で注目され人気作家となったサマセット・モームは同性愛者としても知られています。

サマセット・モーム(Somerset Maugham)の小説『月と6ペンス』(The Moon and Sixpence)について、あらすじとみどころをご紹介したいと思います。

 

サマセット・モーム「月と6ペンス」について

「月と6ペンス」は、モームの全著作のなかで、もっとも有名な作品です。

本作は、実在の天才画家、ポール・ゴーギャンの生涯にヒントを得て執筆されました。ではさっそく内容を見て行きましょう。

 

サマセット・モーム「月と6ペンス」おもな登場人物

チャールズ・ストリックランド…会社員。家出して画家をめざす。

「僕」…物語の語り手。ストリックランドの妻の知り合い。

ダーク・ストルーヴ…画家。ストリックランドの友人。

ブランシュ・ストルーヴ…ダーク・ストルーヴの妻。

 

サマセット・モーム「月と6ペンス」あらすじ

主人公チャールズ・ストリックランドはイギリス人です。妻と子を持ち、ロンドンで暮らす普通の会社員でしたが、現在は家出中です。

語り手の「僕」は、ストリックランドの妻と知り合いで、彼女に頼まれて、家出中のストリックランドを連れ戻すため、パリに出て来ています。

パリでストリックランドの居場所を探し当てた「僕」は、彼が口にした“家出の理由”に愕然とします。

 

それは、彼の妻が想像していたような、不倫の末の逃亡などではありませんでした。彼は、絵を描きたいがために、17年連れ添った家族を捨ててパリに出て来たと言うのです。

「僕」の見るところでは、ストリックランドはすでに“青春を失った人間”であり、社会的地位も、妻も子どももある彼がこれから絵描きをめざそうとするなんて正気の沙汰ではない、到底手遅れである、と思われました。

 

「僕」は思ったことをそのままストレートにストリックランドにぶつけます。それに対して、彼はこう答えます。

「僕は言っているではないか。描かずにはいられないのだよ。自分でもどうにもならないのだ。水に落ちた人間は泳ぎが上手かろうが下手だろうがそんなことは言っておれないのだ。何かをして助からねば溺れ死ぬばかりだ」。

 

「僕」は、ストリックランドのこの答えに、彼の中の激しい感情が表れているような気がして、おそらく自分でもコントロールできないような、身を引き裂くほどの圧倒的な情熱が彼をつかんでいるのだと感じます。

ストリックランドの、芸術への熱を語るその様子は、まるで悪魔にでもとりつかれているようでした。

「僕」は彼を連れ帰ることをあきらめて、ロンドンへ帰ります。

 

それから5年ほどして、「僕」は、ストリックランドの知人で絵描きのダーク・ストルーヴを訪ねます。ストルーヴを介して、ストリックランドとも再会し、二人は旧交を温めます。

ストルーヴは、ストリックランドの天才的な絵の才能をいち早く認めた人物でしたが、同時に、たいへんなお人好しでもありました。

彼は、熱病にかかったストリックランドを、妻が止めるのも聞かずに自宅に引き取って看病することにします。

 

ストルーヴの妻のブランシュは、変わり者のストリックランドを嫌っていましたが、夫の言いつけを守り、仕方なくストリックランドの看病に当たります。

ストリックランドは、そんなブランシュに欲情を抱き、ついには彼女を寝取ってしまいます。

ブランシュはやがて、ストリックランドのひとりよがりなところ、それにともなう薄情さを悲しみ、服毒自殺します。ストルーヴはこれに絶望し、オランダへ帰ります。

 

ストリックランドはその後、魂の故郷を求めて放浪したあげく、タヒチに定住し、そこで地元の女と結婚して、芸術に没頭します。

彼はすばらしい壁画を残し、最後は癪(しゃく)をわずらって亡くなります。

 

サマセット・モーム「月と6ペンス」見どころ&感想

主人公のストリックランドは、一言で言えば“利己的な人間”です。家族をかえりみず、友人の心配も無視して、自分の芸術のために突き進みます。

それどころか、自分を助けてくれた画家仲間の奥さんを平気で寝取り、罪の意識も感じていません。

こういう人格が本当に存在するのかと疑ってしまうほど残酷な人間です。

 

けれども、ストリックランドのこうした表の顔を支えているのは、彼の内面の、“悪魔にとりつかれたかのような”壮絶な芸術愛です。

芸術にまっすぐになりすぎるあまり、他人のことも、自分の身体さえ後回しになってしまうその姿には、悲壮感すらあります。

 

芸術家にモラルや品格を求める声がよく見られる昨今、“野蛮なものも美も醜もすべて飲み込むのが芸術だ”ということを、この作品は改めて思い出させてくれるように、私には感じられます。

モームを読んでいつも思うことは、彼の作品は物語の出だしが魅力的である、ということです。

短編、長編にかかわらず、モーム作品は冒頭の二、三行が非常におもしろく、気がつくと話に引き込まれています。 “先を読みたい”という気にさせられるのです。

 

たとえば『月と6ペンス』の出だしはこうです。

「はじめてチャールズ・ストリックランドを知ったとき、僕は、彼が常人と異なった人間だという印象は少しも受けなかった。だが、今日では、彼の偉大さを否定する人間は恐らくいまい」。

これだけで“ストリックランドっていったい何者なんだろう?”とわくわくして、早くページをめくりたくなります。

 

また、短編『詩人』の冒頭のように、主人公自身の性格が“おもしろそう”と思えるものもあります。すなわち、

「私は有名人にあまり関心がない。だから多くの人が世間のお偉方と握手をしたいという欲望を持っているのに我慢がならない。地位や業績の面で人から抜きん出た人物と会うように計らってあげようかと言われると、私は失礼にならぬような口実を設けてその名誉を辞退しようとする」。

というものですが、ストーリーは、世の中を少し斜めから見ているようなこの人物が、実際に有名人のプライベートに出くわしてしまい、、、という話です。

主人公のこのひねた性格がきちんと最後のオチにつながっているという、秀逸な短編です。

 

『月と6ペンス』に次いで有名な長編作品『人間の絆』の冒頭は、子供部屋の夜明けの描写とともに始まります。

「灰色の朝が明けた。雲が重く垂れ下がり、ひどく冷え冷えしてやがて雪になりそうだった。子どもの寝室に乳母が入って来て、窓のカーテンを開けた」。

物語の幕開けと朝の“始まり”のイメージが重なり、魅力的な導入となっています。

小説家はだいたい皆、冒頭の書き方には気を遣うものですが、そのなかでもモームは特に、 導入部で読者を引き込み、“これから何かが起きそう”と期待させる書き方が上手い作家であると言えます。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。モームの長編小説『月と6ペンス』についてご紹介してきました。

モームは、読みやすい文体もさることながら、ストーリーの構成力に定評のある作家で、すぐれた短編をいくつも残しています。

私のおすすめは、「物知り博士」、「詩人」、「サナトリウム」です。少しの苦味とユーモアのバランスが絶妙な作品たちです。ご関心に応じてぜひ読んでみてください。

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