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悪徳の栄えマルキ・ド・サド(あらすじ)簡単に!迫害される美徳の物語!?

マルキ・ド・サドは、18世紀の思想家です。

由緒正しい貴族の家の生まれで、青年期には、軍人として仕事も立派にこなしていましたが、プライベートでたびたび起こしていた事件で、死ぬまで、監獄と精神病院を行ったり来たりしていた悲劇の人物でもあります。

マルキ・ド・サド(Donatien-Alphorse-fransois, Marguis de Sade)の小説『悪徳の栄え』(Historie de Juliette ou les Prospérités du Vice)についてご紹介したいと思います。

 

マルキ・ド・サド「悪徳の栄え」について

本書はマルキ・ド・サドが、唯物論的無神論の考え方を背景に、人が犯しうる罪について徹底的に向き合った傑作です。

世界中で映画化・舞台化もされています。日本では2013年に舞台が上演され、サドが日本で再び注目されるきっかけとなりました。

では、さっそく内容を見て行きましょう。

 

マルキ・ド・サド「悪徳の栄え」 あらすじ

貞淑なジュスティーヌには、少し変わった妹がいます。

彼女の名前はジュリエットジュスティーヌとちがい、彼女は、罪悪を愛するように生まれついていました。

バンテモン修道院の院長から、遊蕩のかぎりを手ほどきされたジュリエットは、両親の破産を機に、自分から、遊女屋に身売りすることを決めます。

しかし、その遊女屋は大変なところでした。

 

そこでは、大臣サン・フォンによる、残忍な“響宴”がおこなわれていました。

すなわち、娘を焼き串にし、その娘の、瀕死の父親を絞殺し、自分の娘を鶏姦するという、非道な宴が繰り広げられていたのです。

ジュリエットは恐れおののき、遊女屋から逃げ出します。

その後、伯爵と結婚して、これを毒殺し、財産をすべて手に入れると、ローマで娼婦に戻り、法王ビウス六世に聖ピエトロ大聖堂で黒ミサを執行させます。

 

さらにナポリに移り、フェルディナンド王の処刑を見物します。

そこでは、遊興の支配人が、己をキリストや聖母マリアと信じ込んでいる狂人をつかまえて鶏姦させていました。

ジュリエットは実の娘を拷問したあげく、火に投げ入れ殺害してしまいます。

ジュスティーヌは、姉の、このような人の道を外れた行いを見かねて忠告します。しかし、ジュリエットは聞く耳を持ちません。

 

ジュスティーヌをうっとおしく思ったジュリエットは、客人と協力して、彼女を、雷雨の中、家から追い出します。

雷雨のなか放り出されたジュスティーヌは、雷に打たれて、死んでしまいました。

それを見たジュリエットはこう言い放ちます。「美徳を愛するってことは、どうにもやりきれない無駄骨ってわけだね」。

 

マルキ・ド・サド「悪徳の栄え」見どころ&感想

この物語のみどころは、正しいことを言う人、もしくは普通に生きたいだけの人が、圧倒的に不利な状況に立たされるという点です。

現代のエンターテインメント作品とちがって、ラストに救いもありません。

ただただ、“迫害される美徳の物語”であり、作者サドのこだわりもそこにあります。

著者であるサド侯爵は、1740年、貴族の家に生まれました。青年期を南仏のプロヴァンスで過ごし、そこで軍役に従事します。

 

1768年、「アルクイユ事件」を起こし、女乞食を監禁した上、拷問した罪で逮捕されます。

さらに、1772年には、娼婦を集めて乱行に及んだという「マルセーユ事件」を起こし、毒殺未遂と男色のかどで官憲に追われる身となります。

入獄と出所を繰り返したあと、1784年から、バスティーユの「自由の塔」に拘留されることになり、ここで、囚人作家としてデビューします。

 

しかし、サドを危険視した当局の手によって、サドは、シャラントン精神病院に送られることになります。

ここで「大革命」を迎え、自由の身となりますが、反革命の嫌疑をかけられ、ふたたび逮捕されます。1793年のことです。

その後も、監獄を点々とし、出獄後に『新ジュスティーヌ』を書きますが、これが、“良俗を乱す”という理由でまた逮捕され、最期は、1814年、シャラントン精神病院にて没しました。

 

本書『悪徳の栄え』が描くのは、正しいことを言う人が報われない世界です。

たとえば、姉を悪の道から引き戻そうとしたジュスティーヌは雷に打たれてあっけなく死んでしまいます。

夫の兄弟に不倫を持ちかけられ、毅然とした態度で断ったガンジュ公爵夫人は、剣でめった刺しにされたあげく毒物に侵されて死んでしまいます。

18世紀の、サドの生きた時代は、百科全書派によって、それまで当たり前に信じられて来た神の存在が、初めて、人々の間で疑問視され出した頃でした。

 

こうした時代背景のなかで、サドは、思想家の一人として、唯物論的無神論を徹底させ、作品を書くことを通じて、神無き後の世界で人間が自由にやることの根本的な恐ろしさと向き合ってきました。

サドは、その作風から、しばしば、“単に過激なシーンを描くことに気をとられていて、人間性への深い洞察が欠けている”
“人間の徳を軽視している”といった批判を受けがちですが、当時の文筆家の中で、彼ほど、人間の恐ろしさと真摯に向き合った作家は他にいないでしょう。

人間性をないがしろにしているどころか、誰よりも人間の純粋な部分について考えていたと言えるのです。

 

サドが、残酷な描写を好むだけの浅薄な作家でないことを示す証拠としては、『閨房哲学』における次の記述が参考になります。

サドはここで、人が考えた“死刑”という制度に疑問を投げかけます。

すなわち、サドはこの書物の中で、「殺人という犯罪は、犯罪であるのか否か」
「もし犯罪でなければ、なぜ犯罪でないものを罰する法律を作るのか」

また、「もし犯罪であるのなら、同じ犯罪行為によってそれを罰するのは、なんと野蛮にして愚かな行為だろう」と、述べて、明確に、死刑反対の立場を取っているのです。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか。
マルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』について、サドの生涯とともにご紹介してきました。

サドと言えば、作品の残酷なシーンや奇抜な設定ばかりが注目されがちですが、よく読んでみると、その中に垣間見えるサドの徹底した人間観にこそ、見るべきものがあると気づかされます。

『悪徳の栄え』を読まれる際にはぜひ、みなさんもサドの目線になって、“神様が助けてくれないこの世界で、私たちはどう生きるべきか?”を、考えながら読んでみてください。きっとたくさんの発見があると思います。

ご関心に応じてぜひどうぞ。

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